【期間限定ためし読み】『芦屋山手お道具迎賓館』冒頭30ページ

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織田信長をはじめ多くの武将や貴族に愛された茶道具たちを

ついに「擬人化」した話題のファンタジー小説『芦屋山手お道具迎賓館』。

 

好評につき、冒頭30ページを期間限定で無料公開!

今回は、「白天目(はくてんもく)茶碗」の付喪神(つくもがみ)であるシロさんと、

「茶入 珠光小茄子(しゅこうこなす)」の付喪神である小茄子さんが登場する第2章までを公開します。

 


〈プロローグ〉

神戸芦屋の山手には、明治の世から続く閑静な住宅が建ち並んでいる。六甲の御山から湧いて出た清らかな清水がちいさな滝をつくり、その間をモダンな石造りの洋館が建ち並ぶ。帝国ホテルを建てたフランク・ロイド・ライトとその弟子、遠藤新や、昭和を代表するモダニズム建築家の安井武雄の作品など、まるでこの一角そのものが建築の展覧会のようである。
その中のひとつ、高座の滝からほど離れていない高台に立つ一軒の邸宅、あまりにも来客が多いせいか地元の人から「三条の迎賓館」と呼ばれる家で、一人の壮年に入りかかった風貌の男性が、今日もせっせと庭仕事にいそしんでいた。
彼は芦屋の生まれではないが、先祖が代々受け継ぐ不動産のひとつであったこの地を気に入り、少し前に移住してきた。近所では「先生」と呼ばれているのに、その実教師でも弁護士でも代議士でもないらしい。そんな正体不明の「先生」が、あるとき金色のやかんに入った麦茶をぐびぐび飲みながら庭の土をほじくり返していたとき、スコップの先にこつんとなにか硬いものが当たった。
ここは古い土地で、明治時代に名だたる大阪財界の名士が移り住むまでも、皇室の治める天領であったり、戦国武将の拠点であったりした。もっと前は縄文時代に遡り、さまざまな木簡や土器などが出土している。だから先生もとくには驚かず、ははあこれは土器の一部でも出たかな、と思ってやや慎重に掘り返した。
軍手をした手で丁寧に土を払い、ゆっくりゆっくりと姿をあらわにしてゆく。
「あれっ、これはなんだ。白い茶碗じゃないか」
雨樋下の水受けに放り込んで洗ってみると、地の白さがはっきりとわかる。ひとつの欠けもひびもない見事な茶碗だった。
「ちょうどいい、前の茶碗が欠けてしまって、毎日指をきりそうになっていたんだった。これを使おう」
庭から出てきた正体不明の茶碗は、こうして先生の日常になくてはならないものになった。
その茶碗というのがどうも特別なものらしいということがわかったのは、先生がいつものように縁側でぼんやり蚊取り線香の煙のにおいを嗅ぎながら、いただきものの福寿の大吟醸をクイクイと傾け月見酒を楽しんでいたときだった。
「おや、あんたはだれだい」
いつのまにか、縁側にだれかが座っていた。一目で正絹だとわかるつやの着物に身を包み、まるで千年前からそこにそうしているかのように。
「茶碗の付喪神です」
とその古風ななりをした青年は言った。先生もたいして驚かなかった。ただ、会話を楽しむためには相手の名前を聞く必要があった。
「名前は? ナントカカミさんだって名前くらいあるだろう?」
「白天目と呼ばれていました。名の通り、“白い天目茶碗”です」
「んじゃあ、シロさんでいいかい?」
こうして、芦屋山手にある、不思議な迎賓館で、先生と白天目の付喪神の奇妙な二人暮らしが始まった。

 

〈第1章 シロさんと先生〉

「けっこうなお点前、なんて、ほんもののお茶の席では言わないそうだよ」
と、先生が言った。なんのことを言われているのかわからず、シロさんはいつものようにぼんやりと畳の一畳ぶんにすっぽり収まって、天気の良い日の縁側の猫のように寝転んでいた。
「だいたい、お点前の点という字、あれはなんなんだろうねえ。私はずっと『手』前だと思っていたんだがね」
先生は縁側の向こうで庭を向いてうずくまり、小さなスコップを使って土を掘っている。こうして背中を見ていると、たぬきかリスが土の中にどんぐりでも埋めているかのようである。シロさんがそう言うと先生はあっはっはと笑って、去年よりほんの少し曲がった背中が咳をしたかのように揺れるのだった。
「シロさんは、リスなんて知っているのだねえ。戦国時代にもリスはいたんだね」
くりねずみ、とも言うんですよ、とシロさんは返した。先生はそうか栗を食べているネズミだから栗ネズミなのかと妙に感心して、うちの庭の木の頑丈そうなのに巣箱をくくりつければうちに棲み着いてくれるだろうか、などとブツブツ言い始めた。うちにはどんぐりの木があるから栗ネズミの棲処にはちょうどいいはずなのに、そういえば一度も見たことがないねえと。
シロさんは気の向いたときだけ、先生に返事を返す。そうですね、とか。なるほど、とか。二人の会話は、互いの気まぐれによってのみ成り立っていて、それは出会ったころから変わることはない。
先生がシロさんに会ったのは、ちょうどいまから十年前、彼がここ神戸山芦屋の家に引っ越してきたころである。ある日先生がいつものように庭いじりをしていると、土の中から白い茶碗を発見した。そういえばここいらは縄文時代の古墳やら遺跡やらがあったところで、ときどき遺跡発掘をしているボランティアさんたちの展示なども、市のホールで行われているようである。こんなこともあるものだと綺麗に水洗いし、そのとき少々食器洗剤も使用した。先生の友人で、茶の湯と茶道具を偏愛するアラブ人の「ほうっかむりさん」に言わせると、先生がやったことはとんでもなく危なげなことで、本来ならば真綿で撫でるように汚れを落としオーガニックの絹で水分を拭き取り、しかるべき温湿度コントロールをした上で金庫に入れておくべきであると言う。
「そんなことを言ったって、たいして深くもない土の中からひとつの欠けもない白い茶碗が出てきたら、へえこれは前の住人が庭の飾りにでも置いたものかなあぐらいにしか思わないだろう」
先生は、シロさんを発見した成り行きを人に話すたび、百回中百回はこう非難されるので、最近はすっかりへそを曲げてシロさんとの出会いを口にしなくなってしまった。そもそも発見当初、シロさんがたいそうめずらしいという白天目であることすら先生は気づかず、これはいい茶碗だ、白飯を盛ればさぞかしおいしいに違いない、とその日からご飯茶碗として愛用した。なにごともものぐさな性質であるから、夏の暑い日などは冷やご飯に麦茶をぶっかけて胃に流し込み、そのまま縁側にほうったらかし、なんてことも日常茶飯事だった。
そんな夏のある日のこと、先生の友人であるほうっかむりさんが、日本の夏はドバイより酷いなどとひいひい言いながら山芦屋の坂を上がってきた。そうしてももひき一枚で麦茶飯をかっこむ先生の姿を見て、さして驚いた様子もなくずけずけと庭から上がり込んだ。
彼が天地がひっくりかえるほど驚いたのはその後である。遠い異国からわざわざ自分を訪ねてくれた友人にせめて一杯の冷えた麦茶を出そうと、先生は縁側に茶碗と箸を置いていった。明らかに日常遣いされているらしき白い茶碗。しかも本能寺の変で焼失したといわれている伝説の白天目である。ほうっかむりさんがシロさんを発見したのは、古いお道具や茶の湯を愛する人々にとっては考えられない状況であったのだ。
「なにをやってるんだ、ニイさん。これは、天目じゃないか」
そのときのほうっかむりさんの驚きぶりといったら、近所の人がなにごとかと、真夏で締め切った窓を開けてこちらをのぞき込んでくるほどであった。むろんシロさんは、見知らぬ異人にやわやわと撫でられても、興奮のあまりつばを飛ばされてもいやな顔ひとつせず、反対に自分を抱き上げて肌の状態までしげしげと観察する顔の濃い男性を見て、そういえば大昔、安土のお城にいたころに上さまがこのような顔のお供を連れていたことを思い出した。
「なんで白天目で茶漬けを食っているんだ。気でも狂ったのか」
「気が狂っていると言われることには慣れているけれど、茶漬けくらい好きに食わせてほしいなあ」
それからほうっかむりさんは、シロさんがどれだけ素晴らしい茶碗であるか、茶漬けを食べるなんてとんでもない国宝級の美術品であるかを滔々と先生に説いていた。
聞けばほうっかむりさんと先生は似たような仕事をしていて、世界中のそこかしこで顔を合わせる間柄なのだそうだ。あまりにも彼がシロさんの美しさを褒めるので、先生は夜二人っきりになったとき、しげしげとシロさんを眺めて言った。
「おまえがそんなにすごい茶碗とは思わなかったよ」
そりゃあそうでしょうよ、とシロさんも言った。いくら国宝級だなんだといったって、ちょっと前までその辺の土の中にどっぷり浸かって眠っていたんですからねえ。
「こうやって汚れを取ってきれいにしたおまえは、私の言葉もわかると言うけれど、土の中に埋もれていたころのことはよく覚えてないと言うから驚きだ。それはやっぱり、おまえたちがもとは土からできていて、おなじようなものにどっぷり浸かっていると自分も土にもどったような感覚になるからなのかい?」
「さあ」
「浸透圧でも働くのかねえ。土同士でねえ」
それから先生はシロさんがなぜ、こんな山芦屋の古い家の庭に埋まっていたのかあれやこれやと推理し始めた。いままで食器洗剤に安物のスポンジでごしごし洗われて水切りに伏せて放りっぱなしであったものが、どこから引っ張り出してきたのやら、立派な一本脚の高坏を床の間の一番いい場所に飾り、恐る恐るシロさんをその上に置いた。
「先生、これは菓子用の丸高坏ですよ」
「そうなのかい」
「お雛様の三人官女が持っているでしょう」
「うちは男兄弟だったから、雛飾りなんて見たことがないなあ」
「どっちにしろ、こんな木製で脚の長いものの上に置かれちゃ、ちょっとした揺れで落ちて割れてしまいますよ」
それはたいへんだ、と先生は慌ててシロさんを高坏から取り上げた。それから、ああでもないこうでもないと場所を変えては家の中をうろうろ、うろうろ。そっちのほうが落とされそうな勢いである。
「まあいいから、先生はゆっくり座ってくださいな」
シロさんに言われるままに、先生は畳の上にあぐらをかいた。それから座禅を組むようなポーズでシロさんを両手で包み、しげしげと見下ろした。
「昔、私のご主人だった方は、湯漬けがお好きで」
「湯漬けってなんだね」
「お茶漬けみたいなものですよ。普段の先生のように、いつも時間に追われていて。いったん考えごとの淵に入られるとなかなか淵から上がってはこられない。まるで時が止まったようになにをするのもやめてしまわれるような方だったんですよ」
なんだか私に似ているねえと先生が言ったので、
「そうなんです」
シロさんはめずらしく、自分から熱心に言ってみせた。
「その方はたくさんのお茶碗をお持ちでいらっしゃいました。先生方の言葉を借りるなら、それこそ〝国宝級〟の」
「へえ、そりゃあすごいコレクターだ。さぞかしお金持ちだったんだろう」
「あのころは私の兄弟分みたいなお道具もたくさんいました。大陸から来た茶碗で、その中のひとつが、朝日に撫でられたうぐいすの羽根のように綺麗な芥子色をしていましてね」
「ふんふん」
「ご主人さまは、それを薬を飲む専用の茶碗にしていたんです」
へええ、と先生はシロさんをまわすように手のひらで撫でた。
「ご主人さまには主治医の先生がついていらっしゃって、その方が、毎日タデを刻んだものを飲みなさいと。だから、その方は芥子色の天目を薬専用にしていたんですが」
「そりゃ、贅沢なことだ。あいつが聞いたらまた卒倒しそうな話だ」
「だからみんな、タデさんと呼んでいました。ご主人さまが、タデ茶碗タデ茶碗とおっしゃるので。いつのまにか、お医者様までタデ冷や汁茶碗とおっしゃるようになって。ねえ、芥子色なのに」
先生は、タデ……タデ……と思い出すように斜め上を見て、あっと言った。
「タデっていうのは、小さくてちょっとピンクなあれだろ。刺身の飾りについてるやつだろう」
「そのまま食べられるんですよ。体に良いんです。昔は血止めになると、戦場にもたくさんもっていったんですよ」
シロさんは、やや話が脱線ぎみになるのを感じながらも、おや、脱線なんて言葉を自分で使えるようになっているなんて、自分もずいぶんこの世になじんできたなあと思った。
「つまり、国宝級の茶碗も薬専用にしてしまうお方が、私の前のご主人さまなんですよ。私だってなにもずっと絹にくるまって大事に桐箱に収まるとか、ちやほやされていたわけじゃあありません」
「どうされていたんだね?」
「先生とおんなじですよ。湯漬け茶碗にされていたんです」
むろんシロさんは、腐ってもシロさんであったし、当時天目は流行のど真ん中で、中でも白釉のかかった白天目はとてもめずらしかった。ただシロさんの“上さま”は、めずらしいもの好きではあっても、豪快に食べるほうではなかったから、医者にタデを煎じて飲みなさいと言われているうちに、めんどうくさがって湯漬けにタデやら茎を煎じた粉末やらを混ぜて食べるようになってしまった。
それで、薬用のタデ茶碗はお役御免となって、侍医に下げられたというわけである。
「タデねえ。あの花というか刺身のツマみたいなやつが、そんなに体にいいとはね。今度刺身についていたときは私も食べるとしよう」
そののち、侍医に褒美として与えられたタデさんは、どういういきさつがあったか知らないが、いまでは京都のほうの美術館に、それこそ正絹のベッドに横たわるようにうやうやしく飾られているそうである。
「シロさんも、絹のベッドが欲しいかい?」
なんて、しおらしげに先生がシロさんを目線まで持ち上げて言うので、
「先生のことだから、床の間に飾っているうちに私のことなんか忘れて、別の茶碗で湯漬けをお食べなさるんでしょ。だったらいまのままでいいですよ。床の間に置かれたって、栗ネズミの巣にされるのがおちです」
先生はちがいねえや、と言って笑うと、また背中をどんぐりをかじるリスみたいに丸くして庭の栃の木にくくりつけるリスの家を組み立て始めた。

 

〈第2章 シロさんと小茄子さん〉

「そりゃ、白天目さんには、なにを言うても必要のないものですわ」
と、先生の家に遊びに来た小茄子さんはケラケラ笑って言った。
山芦屋。山麓に拓けた小さな街の北側、ちょうど六甲山登山口近くにある滝の水の音も聞こえてきそうな場所に、“先生”の古い古い家はある。
昔は“すみともさん”とか“みついさん”とかがお住まいになっていたというご近所も、いまは低層マンションが建ち並び、先生の家の外観はその中でもめずらしい部類に入る。古くてずっしり重そうな屋根に、平べったい飴色のレンガが積み上がった外壁。銅板葺の雨樋がふちどる玄関屋根の両端からは、中国の皇帝がかぶっていた冕冠の玉すだれのようなくさり樋が、小さな水受けのほんの少し上まで垂れていて、中は出目金と錦鯉の交配種のような巨大な金魚の棲処となっている。
先生はこの金魚を「でめさん」と呼んで、たいへんかわいがっている。猫に食べられないように網をかけて大事に飼っているのだが、このでめさん、なかなかの古強者で、近所の猫が狙いにくるたび、ぴゅっと水をかけて水の中に潜ってしまう。でめさんの白地の正絹に椿や菊やらの花びらをぱあっと散らしたような模様を見るたび、シロさんは昔、上さまの安土のお城の奥御殿で、おひさまに向かって十重二十重に立てられた打ち掛けの虫干しを思い出した。
「必要ないって言うたらあれやけど、白天目さんはほかにいはらへんかったさかい。天目は数あれど、そこまでまっ白いのはねえ。そやから必要ないんですわ。唐物の白天目いうたら、シロさん以外いはりません。でも、うちは茄子やさかい」
「茄子っていうのは名前かい? それとも、銘ってやつかい?」
先生は庭に新しいベゴニアをせっせと植えながら、小茄子さんに言った。
先生は、その日も朝から庭いじりにいそしんでいる。一週間前に庭先の木にくくりつけたリスの巣にはまだだれも居着いてはいない。毎朝中をのぞき込んではがっかりしているようだ。
「そう、うちは小茄子。珠光小茄子なんてちまたでは言われてるみたいやけど。あのころはうちのほかにも、茄子茄子呼ばれてたお道具さんなんてようさんありましてん」
「そういえば、なんとか茄子て言われてるお道具、あるねえ」
茄子ってどうして茄子なんだろう、と先生は手を止めて言った。
「お茶道具だけだよ。なんとか茄子なんて言われているのは」
「そうそう、銘がね」
「そもそも銘ってなんなんだろうね」
「ほんまですねえ。名前ともちゃうし、かといってなんかの特徴によってきっちり“かてごらいず”? されてるわけでもあらへんし」
先生は、小茄子さんの正式名称(あくまでほうっかむりさんの見立てではあるが)、珠光小茄子という銘について聞いているのである。
この小茄子さんが、いま先生の家で我が物顔にしているのにはわけがある。小茄子さんの現在のご主人はほうっかむりさんといって、仕事で世界中を飛び回っている忙しい人だ。
ほうっかむりさんが長く日本を離れるときは、小茄子さんはたいてい先生の家に預けられている。自家用機で国に帰るときだけ持参するが、一般の旅客機を利用するときに、空港でなにやかやと言われるのがめんどうらしい。
そのほうっかむりさんは、数年前パリのヴィラージュ・サンポールで小物入れにされている小茄子さんを見つけた。ほうっかむりさんが友人に誘われて参加したクローズドのオークションで、七十年前から一度も出入りされなかったさる女優のアパルトマンがまるごと競りに賭けられたのである。その中に小茄子さんがあったのだという。
もともとお道具のコレクターだったほうっかむりさんは、小茄子さんをすぐに名のあるお道具だと気づいた。これはきっと値打ちものの日本の茶入であるに違いないと確信し、買い受けた。
「茶入ってなんだね」
「読んで字のごとく、お茶の葉を挽いて入れる壺ですよって」
「へえ、いまじゃ茶なんてたいていカンカンに入って売っていたりするもんだけどねえ」
二人の会話をそばで聞きながら、シロさんはのんびりとしている。いつもは先生と二人きりで代わり映えのない日を過ごすので、今日のように客人があることは喜ばしい。そもそもシロさんと小茄子さんとは、安土にお城があったころからの長い長いお付き合いである。
「きみの呼び名が小茄子さんというのはわかるよ。たしかになすびみたいだものねえ」
「なすびみたいなお道具のなんとか茄子さんたち、ようさんいはりますけど、うちはちょっとみなさんより小さいんですわ」
「そんな大昔から茄子があったなんて、私にはそっちのほうが驚きだね。スーパーで売られている茄子よりずいぶんずんぐりとしているみたいだ」
と先生が茶化すように言ったので、小茄子さんはいかにも心外だという風に、
「昔の茄子は、いまのように天狗の鼻みたいに長くなくて、丸かったんですよ。水茄子は珍味だって言われて、天平のころの天皇さんだって好んでお食べになったんですよ」
そんな奈良時代の昔のことを小茄子さんに語って聞かせたのは、小茄子さんの昔の昔の(ずいぶんと昔の)ご主人だったという。

 

……茄子はいいものだよ。薄紫の花は、生ければ茶を点たてたくなる。実がなれば寿司にしたくなる。たくさんとれれば麴に漬けておすそわけしたくなる。つやつやしてふっくりして、とってもいいものだよ……

 

「わかった。それが珠光さんていうお人なんだね」
ベゴニアの植え替えを終わらせた先生は、首に巻いたタオルで顔の汗を拭いつつ、部屋のほうへもどってきた。先生のあとを付いてきた蚊が、素焼きの豚の中からもうもうとたちのぼる蚊取り線香の煙に気づき、諦めて木陰へもどっていく。
「いったいどんな人だったんだい」
「珠光さんは奈良のお坊さんですよ。田んぼのど真ん中に建てた庵に引きこもっていてね。そこの水がいいとかで、あとはずっと手紙を書いたり、庭をいじったり、念仏を唱えたりしてはりましたねえ、たしか」
「なんだか私みたいだね」
「ほんと、だんなさんみたいですねえ」
その珠光なる僧侶は、いまではわび茶の創始者と言われている室町時代の文化人だ。彼が所持していた茶道具は、珠光なんとかという名前を付けられ、それが銘となっているものも多いらしい。
「はあ、つまり小茄子さんは、お茶の世界の聖遺物みたいなものなんだねえ」
お茶の世界にはからっきしの先生は、あまりにもざっくりすぎる感想を述べた。
「珠光さんちの茄子のかたちをしたお道具さん、ってわけだ」
「まあ、そんな銘とかいうものは、あとあとの人が自分の都合のいいように付けはったもんでしかないんですわ、実際」
小茄子さんは、三条のだんじり会で先生がもらった手ぬぐいの上でごろんごろんしながら言った。
「そもそも、珠光さんはそのへんにあった石でも、野草でも、ひょいひょいってあわせはって生けるような人ですわ。うちのようなちょっと粋で見てくれもよさげで、値打ちもんの茶入なぞ、ほんまは興味ありはらへんかったんちゃうかな」
「小茄子さんも私も、唐物なんですよ」
先生が一息つこうと軍手を外しつつ縁側に座った。
「そうか、おまえさんも中国から来たんだって言ってたね。外国生まれでも、近くにお仲間がいっぱいいたのはいいことだ」
このなにごとにもおおざっぱで横着なご主人は、日に一度、スイカほどもある大きな金色のやかんに麦茶を沸かして、シロさんをコップ代わりにする。昨日も流しで洗われて自然乾燥。そののちすぐにまたお茶漬けに使われて、唐物茶碗のくせに一日のほとんどは庭の見えるいい場所に置かれていた。
そんな暮らしが、シロさんはいやではない。
「安土のお城では、シロさんは、上さんのいっとうお気に入りさんやったからねえ」
「小茄子さん」
「それにひきかえ、私ときたら」
おや、と先生は小茄子さんを見下ろした。
「珠光さんは、小茄子さんのことを大事にしてくれなかったのかい?」
「ちゃいまんねん。そもそも、うちが珠光さんにお会いしたのはいっぺんか二へんくらいですわ」
「珠光小茄子なのに?」
「だから言うたでしょ。珠光さんてお人には、うちは粋すぎるんです」
小茄子さんが、あんさんは知ってるでしょ、とばかりにシロさんを睨むので、しょうがなしにシロさんは、
「先生。小茄子さんは、もともと珠光さんのお弟子さんが堺で買い受けたんです」
たしか大昔に、安土のお城で、堺の松井さんというお代官と、今井の宗久さんをお招きして開いたお茶会のときに、シロさんは小茄子さんから身の上を聞いたことを思い出した。

 

……あんなあ白天目さん。うちはもとは珠光さんの一番弟子の、古市播磨さんって方が御仲間内から買っていかはったんや。それで播磨さんは珠光さんに使ってもらおうと、わざわざ三条の庵をお訪ねになったんや。
播磨さんは、いっつもこう言ってはった。うちの顔を見て、ひげもじゃの大きないかめしいお顔がにっこりして。茄子はいいものだよ。薄紫の花は、生ければ茶を点てたくなる。実がなれば寿司にしたくなる。たくさんとれれば麴に漬けておすそわけしたくなる。大和に大仏さんが建ちはるまえから、みんなおまえのような茄子が好きやった。つやつやしてふっくりして、とってもいいものだから……

 

そう、小茄子さんの最初のだんなさんは毎日のように言って、小茄子さんを喜ばせていたという。
「その播磨法師と呼ばれた方が、小茄子さんをお師匠さんにさしあげて。ですけど、残念なことに、すぐにお亡くなりになったとか」
「珠光さんが。そうなのかい」
「それから、小茄子さんは播磨法師さんのもとにもどられたんですけど、その方も残念ながら合戦でお亡くなりになってしまった。それでその方が修行したお寺にもどされて、お茶がお好きという武将の目にとまって……」
そこからは、小茄子さんのオーナーは怒濤のごとく変遷する。三好という名前の武将に気に入られて、すぐに三好家が同盟を結んでいた本願寺に仕える下間家へ。下間家から本願寺へすぐにうつされて、茶人の武野紹鷗さんの息子さんの宗瓦がさんが大金を出して買い取り、そこからなんと本願寺の宿敵であった織田信長のもとへ……。
「あっという間で、なにがなにやらわかりませんでしたわ」
当の小茄子さんですら、もはやその時の自分のオーナーがだれなのか、順番を正確に把握していなかったという。その間に、小茄子さんの値段はみるみる膨れ上がっていった。
「最初はただの茄子。ちょっと小さいから小茄子。それが、人の手を渡り歩くごとにどんどん名前が大仰になって、値段も倍になって。最終的には、織田の上さんがうちを、関東一円よりも貴重やって言いはって、うちを欲しいと言った滝川左近(一益)にも決してお与えにならなかったよって」
甲州征伐を成し遂げた滝川一益が、小茄子さんを褒美に所望したとき、信長がそれを断った。代わりに彼に関東一円を与えた話はとくに有名である。
「珠光小茄子なんて、そう呼んだほうが“ぶらんど”力があるから、いつのまにかだれかがそういうふうに言っただけやと思いますわ。うちはずうっとただの小茄子。関東一円より価値があるなんて、自分でも思てやしません」
ブランド力を増した“珠光”小茄子さんがシロさんと出会うのは、上さんのコレクション入りをしたこのころのことである。
「あれは、たしか京都の二条城や。正月に宗易さん(千利休)ら茶頭の茶会があって、シロさんと初めてお会いしたんやったなあ」
お道具同士バックヤードで会いはしたが、残念ながらその日小茄子さんに出番はなかった。出番がなかったからこそ、茶会の席にいた山上宗二によって目撃されることもなかった。お道具のことを詳しく書き綴った『山上宗二記』に登場する小茄子さんについては、すべて宗二が利休から伝え聞いたことである。
その後、小茄子さんは長い間シロさんとおなじく、本能寺で焼失したと思われていた。しかし、小茄子さんの流転の茶入道はそんなことでは終わりを告げなかった。
「インドから来た弥助という上さんご寵愛の黒いお侍が、日向守さん(明智光秀)に許されてお寺に入りはったんやけど、そのときこっそりうちを隠しもってたんよ」
その後、弥助はひそかに預け置かれた長崎の南蛮寺を脱出。マニラ行きの船に乗った。そこで小茄子さんはポルトガルの商人に買われ、リスボンでしばらくちやほやされたあと、王女の輿入れとともにピレネーを越えてフランスへ。シノワズリが流行りつつあったパリでもそこそこの値がついて、しぶとくフランス革命の戦火をもくぐり抜け、最終的には当時一世を風靡した女優の持ち物になった。
「なるほど、今度はフランスで紅茶の入れ物になったんだね」
「いやいや、そうはならへんかった」
小茄子さんはおかしそうにコロコロと笑った。
「あのお嬢さんたち、当然こっちのお茶のことなんかなんにも知りはらへんでしょ。スペインでは花瓶にされたこともあったから、そうなるかしらと思っていたんですけどね。お砂糖入れにされたんです」
「へえ、砂糖!」
「でも、小茄子さんはちょっと、お砂糖入れには大きすぎるような」
先生とシロさんが顔を見合わせながら言うと、小茄子さんは、
「そやから、銘がね」
「“銘”?」
「なんでかしらんけど、珠光小茄子ていう名前だけは、律儀に外国でもついてまわりましてん。でも、外国人は珠光さんなんてご存じないやないですか。それで、音だけ聞いて、シュクル(シュガー)・コナスて」
先生は、ああ、シュコウがシュクル(シュガー)になったのか、と納得顔を作った。
「なるほど、小茄子さんがヨーロッパでお茶入じゃなくてお砂糖入れになった理由はわかったけど、コナスっていうのは?」
「そうそう、それがねえ。コナスて、向こうでは大きなイモガイのことを言うんやって。ご存じです?」
「イモガイ……」
「イモガイて貝の仲間で。ほら、海のカタツムリて言うらしいんやけど」
なんと小茄子さんは、ヨーロッパに売られてからはずっと、イモガイのかたちをしたお砂糖入れだと思われていたんだそうな。
「ああ、わかった。スタバのランプみたいなかたちのあれね! 貝ね。そういえば、スタバのランプも茄子っぽいと言えなくもないなあ。あれで色が紫なら、茄子に見えるかもねえ」
「名前て不思議なもんでっしゃろ。当たらずとも遠からずや。まあ、そもそもうちが小茄子なんは、貝に似てたわけでも、なんでもない。もちろん珠光さんがお付けになったわけでもない」
「ふんふん」
先生は麦茶をぐびぐび飲み干し、お茶をする人が見たら悲鳴をあげそうになるほど適当にシロさんをお盆の上に置いた。
「それで?」
「お茶の道具に茄子って名前が多いのは、もっと単純な理由からなんですよ、シロさんのだんなさん」
おわかりになる?と小茄子さんが問いかけ、ふるふると先生が首を振る。小茄子さんは、我が意を得たりとばかりににったり笑う。
「そやろうなあ。じゃあもう意地悪せんと教えてさしあげまひょ。うちみたいなずんぐりむっくりした茄子はねえ、あの時分は水茄子いうて、おもに泉州でようさん食べられてましてん」
「ああ、そうか。水茄子は泉州茄子って言うねえ」
つまり、大陸からの輸入品が集まる堺の港に、水茄子もまた地場のものとしてよく出まわっていたということである。
「せやから。うちみたいなかたちを見て、茄子茄子つけはるのはたいてい堺のお人と相場が決まってます。唐物はみいんな堺に集まって、そこから商人さんたちが持ち出しましたんや」
「なるほどねえ。堺の商人が名付けたんじゃ、そりゃ茄子シリーズばっかりになるなあ」
ちょっと色が濃くて、ずんぐりとしていて、丸いくいものはみーんな茄子。だって、堺の人は茄子が大好きだから。泉州茄子は天皇さんが好んでお食べになるくらいとびきりおいしいものだったから。
「人間の考えることなんて、何百年経ってもなあんも変わりませんねん」
小茄子さんの言うことに、先生はいちいちもっともだという顔をして頷く。シロさんはそれを、かわるがわる、揺れる風鈴を追いかける猫のように眺めている。
「なんだか、茄子が食べたくなってきた」
やがて、日も落ちて先生が庭仕事をやめ、冷蔵庫を開けてほんの少し考え込んだあと、シロさんの中に炊飯器の中でやや硬くなったご飯とお茶を注ぎ入れて朝とおなじ茶漬けを作るころ、現在の小茄子さんの主がヒイヒイ言いながらやってきた。
「ここの坂はやっぱりきついな。タクシーにすればよかったよ、ニイさん!」
そうして、いちはやく小茄子さんを見つけて、まるで子供を抱き上げるようにして大きな分厚い両手で持ち上げた。
「ただいま、小茄子さん。やあやあ。きみはほんとうにふっくらとして、かたちがいいなあ。僕は天ぷらの中でもとくに茄子が大好きでね。だけど、日本以外の国ではなかなか天ぷらが食べられない。きみを見ていると茄子の天ぷらが恋しくて恋しくてたまらなくなるんだよ」
そうでしょうとも、と小茄子さんはにったり笑う。
「そりゃあ、うちはつやつやしてふっくらして、とってもいいものだから、奈良に大仏さんが建ちはるまえから、みんなうちが好きやったんですから。どこへ行ったってモテモテなんですよ」
小茄子さんはそう得意げに言うと、まあるい顔がいっそうふくふくしげに見える。
先生が、ほうっかむりさんに茶漬けとタッパーにぎっしり詰まった千枚漬けをすすめて、あんた、今日はもう遅いからうちに泊まっていきなさいよと言った。
その日はお客人がもう一人増えて賑やかになり、めずらしく、山芦屋の大きくて古い家の離れに明かりが点った。先生たちはさっそく明日の昼に、駅前の天ぷら屋に行くつもりらしい。はたして小茄子さんが、ヨーロッパでどのように取り扱われていたのか、砂糖壺になったのはほんとうに珠光がシュクル(シュガー)に聞こえたからなのか、ブランデー片手に熱心に話し込んでいる。
「まったく。お砂糖入れでも、お茶入でも花瓶でもなんでもええから、ちょっとでも長くお手元に置いてくれはったらええねん。シロさん、そう思いまへん?」
「そうですねえ」
なんなら、お酒を呑むときも使ってくださってもいいのに、とシロさんは思った。
夜風がゆらす風鈴の音にまじって、玄関先から、ぴしゃんと水のはねる音がした。

 

 (第3章へつづく)


 

このあとも、まだまだたくさんのお道具さんたちが登場します。

おしゃべりな茶壺たち、ナルシストな青磁茶碗、シャイな高麗茶碗など、個性豊かなお道具さんたちの物語はどこへ向かうのか……?

ぜひ本編で続きをお楽しみください。

 

『芦屋山手お道具迎賓館』/高殿 円(たかどの まどか)

 224ページ・定価1,760円(税込)・ISBN 978-4-473-04527-0

 〈全国の書店で好評発売中〉

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