知って欲しい!書籍ができるまで~ガイド本編~①撮影編

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編集現場を不定期に紹介する本連載。

好評を博している図鑑編と並行して京都本社からもう1冊、書籍の制作風景をお届けします。

 

京都本社第2弾として紹介するのは、弊社で現在編集が進められている「近畿」と「幕末」をテーマにした読んでも楽しめるガイド本!

幕末維新といえば殺伐とした歴史上のできごと、というイメージがありますが、なにげなく街角の記念碑や看板に目を向けると「実は幕末維新に関連したものだった」ということが京阪神ではよくあります。
こうした生活に溶け込んでいるものから、京都御所や二条城などの重要文化財クラスのものまで幅広く紹介する1冊です。

 

第1回のテーマは撮影です。

書籍に掲載するための写真をカメラマンに撮影してもらいます。

コロナ禍、特に緊急事態宣言の中も、3密を避けて取材を敢行。
幸か不幸か人出も少なく、さまざまな角度から撮影ができました。

掲載図版の撮影はカメラマンに一任する場合もありますが今回のように編集者が同行することもあります。
本書に必要な写真は、撮影ポイントが広域かつ一見してわかりにくいものが多いので担当編集Iが同行。
随行して取材をすると、現場でしかわからない情報も手に入ります。
この情報を著者に共有することで、原稿執筆の効率化にもつながります。

 

今回の撮影場所は兵庫県南部だったのですが、この日のお天気はいまひとつ…。
「京都に一番近い海」大阪湾に面している神戸市は海防、そして西洋文化の入り口として、幕末維新ネタにこと欠かない土地です。
そのため、混乱期に武士の悲劇を伝える史跡も多々見受けられます。

 

この日の撮影風景を、歴史好きの担当編集Iの解説とともにご紹介!

 

〇明石藩舞子台場跡(神戸市垂水区舞子公園)
明石海峡大橋の横にあります。外国船からの脅威に備えるため、文久三年(1863)に明石藩主の松平慶憲が幕府の命により台場(砲台)を築造した場所です。
慶応元年(1865)に完成しました。

〇滝善三郎の慰霊碑(神戸市兵庫区能福寺)
慶応四年(1868)1月11日、備前藩兵がフランス人水兵に負傷を負わせ、銃撃戦に発展した神戸事件といわれる事件にて、事件の責任をとり切腹した滝善三郎を慰霊する碑。
このお寺には日本で最初に新聞を刊行したジョゼフ・ヒコの碑もあります。

〇西宮砲台(西宮市西波止町)
文久三年(1863)8月3日、勝海舟の建議を受けて、幕府は西宮と今津に砲台の建設を着工し、慶応二年(1866)に完成しました。
周辺は工業地帯にも関わらず、砂浜に松が並び眺めがいいです。

〇残念さんの墓(山本文之助墓)
元治元年(1864)7月19日の禁門の変に敗れ、帰国途中だった長州藩兵・山本文之助が尼崎藩内で捕縛され、その日のうちに自刃しました。
その後、彼の墓は「残念さん」と呼ばれ、一つだけ願いを聞いてくれるという噂が広まり、数多くの人が参詣しました。

次回の更新もお楽しみに!

 

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