山崎ナオコーラさん連載【未来の源氏物語】第6回「『貧困』の描写」#2

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*イラストも筆者

平安時代の昔から現代まで、多くの人に愛されてきた『源氏物語』。

しかし、古代日本の価値観を背景に書かれた物語は、身分、見た目や性別による偏見が描かれ、

多様性を重んじる時代の価値観から見ると違和感を覚えることもあるでしょう。

そんな『源氏物語』を今の視点で楽しむには? 新たな「読み」の可能性を考えます。

 

第1回「どうやって時代を超える?」

第2回「見た目で判断していいの?」

第3回「『ロリコン』の読み方」

第4回「『マザコン』は悪いことではないけれど……」

第5回「『いわゆる『雨夜の品定め』」

 

第6回

「『貧困』の描写」


貧乏描写に

筆が走る

 

 

『源氏物語』は貴族の物語です。

登場人物のほとんどが貴族ですし、読者もほぼ貴族でした。

 

『源氏物語』は、藤原道長の支援を受けて執筆が促されたようですし、その執筆は道長の娘の中宮彰子(ちゅうぐうしょうし)の宮仕(みやづかえ)をしながら行われたので、やはりその辺りの貴族、それも位がかなり高い人たちが読むことを作者の紫式部は想定していたでしょう。

それに、平安時代は、教育制度が確立されていなかったですし、文字を読めるのは身分が高い人に限られていました。

 

そういうわけで、風景描写や情景描写も、貴族の読者が想像しやすそうな、大邸宅の庭や高価な調度品ばかりが作中に出てきます。

この夕顔の家の庭みたいな貧しい景色が細かく描写されるのは稀です。

 

このシーンは、現代小説に似ていると思います。

だから、私にとってはとても馴染みやすいです。

私は普段、現代小説を書く仕事をしておりまして、デビューしたばかりの頃によく、編集さんから「描写を丁寧に」というアドヴァイスをもらいました。

新人作家はストーリーや人間関係を追う文章ばかりで小説を構成してしまいがちなのですが、小説を小説たらしめるのは風景描写なのです。

平安時代を生き、今のように古今東西の文学作品を読める環境にはなかったはずの紫式部が、現代小説のようなしっかりとした風景描写をしていることに驚きます。読んでいると、月光や露といった美しい秋の景色が眼前に迫ってきて、布や米を打つ音やご近所さんの会話や虫の声などのガヤガヤしたものが耳に押し寄せてきます。

素晴らしい文章です。

 

でも、紫式部はこのシーンの途中に、「くだくだしきことのみ多かり。」という、ちょっと変な一文を入れています。

私は、「〈まあ、読みにくいかもしれませんが、身分の低い者の生活はこんな雑音が多いのです〉。」と、カッコでくるみ、ですます調でちょっと長めに訳してみました。

 

せっかくの描写の流れが中断してしまうので、こんな変な一文はない方がいいと思うのですが、『源氏物語』にはこういう、変な一文がよく入るのです。

研究界隈では、「草子地」と呼ばれています。

書き手の批評が、作品内に入っているのです。

『源氏物語』は、「どこかの女房が書いた物語」という設定になっていて、紫式部は「自分の声」というより「架空の女房の声」というつもりで書いているみたいですが、「こんな文章を書いてしまいましたが……」「このあたりは読みづらい文章ですよね……」といった、書きながら喋っているような声を紛れ込ませているのです。

読んでいると、いいシーンなのに、「このあたりは、長く書くのが面倒なので、省略して次に進みますね」といった文章が突然出てきて、次のシーンに飛んでしまうこともあります。

こんな文章は現代小説には絶対にないので、出くわすとちょっと笑ってしまいます。

「作者が顔を出してはいけない」というのは現代小説ではルールになっていますよね。

でも、『源氏物語』では、書いている人も喋るのです。

 

ここの草子地は、「くだくだしきことのみ多かり。」という、短いセリフですが、つまりは、「身分が高い読者の方々は、こんな下々の者の生活なんて、知りたくもないでしょうし、面白い文章にも感じないでしょうけれども、夕顔の家があるこのあたりの暮らしについて、ここで書かざるをえないんですよ」といった言い訳めいたものを紫式部は入れ込んだのですね。

 

ただ、そんな言い訳をしながらも、風景描写の筆が乗りに乗っているので、紫式部は確実に、貧困の描写を楽しんでいると思います。

それに、葵の上(あおいのうえ)や、六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)、女三宮(おんなさんのみや)といった、金持ちのヒロインたちとの恋愛は決して盛り上がらず、いわゆる恋愛シーンの描写も少ないのに対し、夕顔、紫の上、浮舟といった貧しいヒロインたちとの恋愛は盛り上がり、恋愛シーンが細やかに描かれるのは、やっぱり、「貧乏は面白い」という思いが紫式部にあるからではないでしょうか。

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『貧困』の描写」♯1へ

 


このエッセイは「茶のあるくらし」をビジュアルに提案する月刊誌『なごみ』2021年6月号に掲載されたものです。

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