山崎ナオコーラさん連載 【未来の源氏物語】第2回「見た目で判断していいの?」#1
*イラストも筆者
平安時代の昔から現代まで、多くの人に愛されてきた『源氏物語』。
しかし、古代日本の価値観を背景に書かれた物語は、身分、見た目や性別による偏見が描かれ、
多様性を重んじる時代の価値観から見ると違和感を覚えることもあるでしょう。
そんな『源氏物語』を今の視点で楽しむには? 新たな「読み」の可能性を考えます。
第2回
「見た目で判断していいの?」
美しい人は
物語になりやすい
「ブス」や「美人」で物語を作ることをどう思いますか?
『源氏物語』に「ブス」という言葉は出てきませんが、人を見た目で判断するシーンはたくさん出てきます。
まず、光源氏の容姿が、褒めちぎられます。ヒロインたちのほとんどが、「顔が美しい」と書き立てられます。
まるで、顔立ちが良いせいで恋愛事件が起こるがごとくです。
みなさんもご存知のように、恋愛に容姿は関係ありません。
どんな顔の人だって、恋ができます。私たちは日常の中で、相手と細やかな関係を築きながら、心のひだひだで相手を受け止めて、恋を進めているはずです。
でも、顔というのは便利で、時間や距離を飛ばして恋愛の雰囲気を漂わせられるものですから、小説や映画やドラマなどでは登場人物のヴィジュアルを良くしてしまいがちです。
作者と読者が人間関係を丁寧に結ぶのは手間も時間もかかります。
けれども、「かっこいい人とかわいい人が出会ったよ」と書けば、簡単に「はい、恋愛です」と話が理解されます。
だから、作者はヴィジュアルに頼ってしまいます。
それは、『源氏物語』から綿々と続いている、恋愛をメディアに載せる技です。
現代では、顔立ちで人を判断することは無礼だとされるようになってきました。
履歴書に写真を貼るのを止めよう、という動きも広まっています。
見た目に関する噂話は倫理的にアウトだとする考えも広まりました。
職場や学校で他人の容姿を誹謗する会話を耳にすることは少なくなってきました。
でも、千年前はそういったマナーはありませんでした。
『紫式部日記』や清少納言の『枕草子』などのエッセイでも、見た目に関する話題がよく出てくるので、平安時代において容姿の話をすることはタブーではなかったようです。
あるいは、インターネットなんてない時代ですし、見た目のことで今ほどの大きな傷を付けられることがなかったのかもしれません。
写真や動画はまだ発明されていないですから、自分の顔を自分が知らないうちに勝手にインターネットに載せられて知らない人に見られる、という危険はありません。
自分の顔をインターネットから消したいのに消せない、という現代の大問題とも、平安時代の人々は無縁でした。
このエッセイは「茶のあるくらし」をビジュアルに提案する月刊誌『なごみ』2021年2月号に掲載されたものです。
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