山崎ナオコーラさん連載【未来の源氏物語】第1回「どうやって時代を超える?」♯4
*イラストも筆者
平安時代の昔から現代まで、多くの人に愛されてきた『源氏物語』。
しかし、古代日本の価値観を背景に書かれた物語は、身分、見た目や性別による偏見が描かれ、
多様性を重んじる時代の価値観から見ると違和感を覚えることもあるでしょう。
そんな『源氏物語』を今の視点で楽しむには? 新たな「読み」の可能性を考えます。
第1回
「どうやって時代を超える?」♯4
今、私たちが
『源氏』を楽しむために
私は本名はナオコなんですが、ナオコーラというふざけたペンネームで活動しています。
ジェンダー(性役割)に興味があって、そういった小説やエッセイをよく書いています。自分の性別は非公表にしており、「なぜ人間はカテゴライズをしてしまうのか?」と考えることをライフワークにしています。
そんな私ですが、自分がジェンダーから完全に自由になることはないだろう、と思っています。
新しい人に出会ったとき、私はその人の性別をどうしたって推(お)し量(はか)ってしまいます。
性別に関係なく他人を見ることがなかなかできません。染み付いた性別観は消えません。私は差別をしていますし、これからもします。
ジェンダーバイアスを自分のセンスから完全に取り除くことは、死ぬまでできないでしょう。
それは、四十年ほど前、昭和時代に生まれ、教育を受け、同時代の人々と関係を築き、ずっと生活してきたからです。
差別に関する問題への取り組みは、十歳年下、二十歳年下、三十歳年下の人には、かないません。次世代の教育を受けて、違う波に揉まれて成長し、新しい価値観の人たちと切磋琢磨している人は、私よりもジェンダーバイアスのない考えを獲得できるでしょう。
しかし、三十歳年下の人だって、五十年後に生まれてくる人にはかなわないでしょうし、そこに引目(ひけめ)を感じる必要はないとも思っています。
だから、上の世代のことも、責めてはいけない、と考えています。
五十歳上の方のお話を伺うとき、違いは感じます。
千年の差と比べれば、五十年の差は大したことではありません。ただ、社会規範はかなりの速さで変わります。ちょっと前の時代で良しとされていたことがぐるりと反転することもあります。
上の世代の方が、自分の考えと違うものを持っていても、批判するのではなく、その時代の良いところに目を向けたいです。
どんな時代にも、素敵なところがあります。その時代を寿(ことほ)ぎたいです。
ただ、その時代には、特有の社会規範があったということも認識した方がいいと思うのです。
差別や偏見のない時代はこれまでにありませんでした。そして、その土壌の中で文学は育まれました。
紫式部は悪人ではなかったに違いありません。でも、差別をしなかった人ではないと思います。作中に差別があります。けれども、紫式部は素晴らしい文学者です。
文学は、「善い行いを学ぼう」という学問ではありません。書いてあることをすべてそのまま肯定して、自分の成長に繋げようというものでもありません。
このエッセイは「茶のあるくらし」をビジュアルに提案する月刊誌『なごみ』2021年1月号に掲載されたものです。
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