山崎ナオコーラさん連載【未来の源氏物語】第1回「どうやって時代を超える?」♯2

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*イラストも筆者

平安時代の昔から現代まで、多くの人に愛されてきた『源氏物語』。

しかし、古代日本の価値観を背景に書かれた物語は、身分、見た目や性別による偏見が描かれ、

多様性を重んじる時代の価値観から見ると違和感を覚えることもあるでしょう。

そんな『源氏物語』を今の視点で楽しむには? 新たな「読み」の可能性を考えます。

 

 

第1回

どうやって時代を超える?」♯2


脇息(きょうそく)なんて使っていない現代の読者は、辞書を調べたり、インターネットで検索したりして、「こういうものを使っていたのか」と、頭の中でその家具をイメージします。

ものすごく勉強していて、平安時代の生活習慣に関する知識や、古語の知識を、当時の人たち以上にたっぷり持っている現代の研究者でも、『源氏物語』をするりと楽しむことは難しいです。

私たちは時代と場所と共に生きていて、そこから逃がれて読書をすることはできません。

 

私が昔通っていた大学では『源氏物語』の研究が盛んで、威厳のある雰囲気の教授たちが真面目くさった顔でこの恋愛物語を語っていました。

私は日本文学を専攻していて、卒業論文は「『源氏物語』浮舟論」というタイトルで書いたくらい『源氏物語』にどっぷりだったので、『源氏物語』を語りたがる人たちを結構見ました。

私は読書が好きで、いつか自分も小説を書きたい、そのための勉強になる、と思って、『源氏物語』を学んでいたのですが、だんだんと、「研究を頑張る」ことは、「読書を楽しむ」こととは別問題だと思うようになりました。

 

この教授たちは、平安時代の少女のように『源氏物語』を純粋に楽しむことはできないだろう、と気がついたのです。いえ、もちろん、研究は大事な事柄ですし、世の中に必要な仕事です。研究は面白いです。でも、読書とは違うのです。

『更級(さらしな)日記』の中で『源氏物語』に耽溺(たんでき)していた菅原孝標女(たかすえのむすめ)は、研究者のような知識は持っていなかったでしょうし、作品を体系的に捉えてもいなかったでしょうが、とにかく、作品を楽しめていました。

この「楽しめる」という能力は、どんなに勉強しても得られないものなのです。

言葉は、時代と場所と共にあります。

そう、どんなに勉強しても、必死に研究しても、私たちは当時の人のように『源氏物語』の読書を楽しむことは決してできないのです。

大学には、変体仮名の授業もありました。ふにゃふにゃと繋がった線であらわされる、ひらがなができあがる前の、あの変な文字です。今ではもう忘れてしまいましたが、学生時代は、これをちょっと読み解けるようになりました。

その作業は楽しかったです。ただ、これが読書の楽しさなのか、と考えると、やっぱり違う、と感じました。当時の人は、読み解いていたのではなく、身体感覚で言葉を味わって楽しんでいたと思います。

 

私は、あきらめました。現代の日本で生きることにしました。今の時代のこの場所で、読書をします。

現代を生きる私は、平安時代の読者に近づく努力をするよりも、現代人としての読書の楽しみ方を極める方向にシフトした方がいいんじゃないか、と思ったわけです。

私は、当時の読者には決してできなかった、「現代語訳を楽しむ」ということができます。また、英訳されたものに触れることもできます。今は、英訳されたものを日本語に翻訳し直したものも出版されています。

 

平安時代の言葉と、現代の言葉を比べて面白がることもできます。せっかく、千年を超えた場所に私たちはいるのです。千年を超えたからこそできる読書を楽しんでもいいと思います。

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このエッセイは「茶のあるくらし」をビジュアルに提案する月刊誌『なごみ』2021年1月号に掲載されたものです。

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